日本とアメリカの文化や習慣や教育、社会生活や考え方など、様々な違いを比較対照しながら、相対的に説明したものであり、MNCC職員によって執筆されたものです。

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■ 学習の前に
■ 目 次
■ 家庭生活編
■ しつけと教育編
■ 市民生活編
■ 慣習編
■ 世間と風俗編
■ 公共道徳とマナー編
■ 行動様式編
■ 形而上的価値編

●翻意
日 本
アメリカ
翻意はあってはならないという気持ちが極めて強い。そのため、慎重に考えて結論を導き出そうとするあまり、判断に時間がかかり、時にはなかなか決断できないということも多い。特に、それが重要なことであればあるほどその傾向が強くなる。また、翻意に対しては、周囲の者から非難されることとなり、時には結果の善し悪しに関係なく、翻意したこと自体の責任を問う声が上がることも多く見られる。「武士に二言はない」という諺があるのも、翻意そのものに批判的な価値観を持つその表れである。そのため、約束はほとんど守られると言っていい。 翻意に抵抗を持つ人は少なく、一つの判断に固執し、長期的にその判断に拘束されることは余りない。「考え方が変わった」「あのときはそう思っていたが、時間が過ぎて今はこう思う」というようなことは、時間の経過と共に、また、条件や事態の推移の中で、当然起こりうる自然な結果であると考える。だから、翻意自体に抵抗は全くない。むしろ、合理性と柔軟性の表われであると考える。そのため、結論や判断は早い。場当たり的にものを考え、結論を出し、判断する。そして、成り行きと現実を見ながら、修正を加えていくというやり方のため、翻意は当然の帰結ということになる。その結果として、口約束などは守られないことも多い。

 

●考えておく
日 本
アメリカ
「考えておく」「考慮する」「検討する」という言葉は、その本来の意味から離れて、否定的であったり、乗り気でなかったりする際の、相手に対する思いやりから使われる返事である場合が見られる。つまり、「NO」と直接面と向かって即座に拒否するより、十分に考えたにも関わらず、「不本意にも」相手の意に添わない結論に達したという、姿勢を見せるための言葉として使われることがある。 「考えておく」「考慮する」「検討する」という言葉は、その言葉本来の意味を持つだけであり、それ以外の意味は全くない。

 

●外食時の注文方法
日 本
アメリカ
グループで喫茶店やレストランへ行き食事をする時、同じ品物を注文する傾向がある。同席するグループの人数が多ければ多い程、同じ品物を注文しようとする雰囲気が生まれ、店側もそれを期待することとなる。また、レストランも注文しやすいように、いろいろな種類の食べ物がセットになっている定食を準備したりしている。数多くの個別のメニューがあっても、定食類を注文する人が多い。また、メニューの内容は、味付け、料理方法、食材、ドレッシングなど、全て決められており、選択の余地のあるものはほとんどない。お客が料理の仕方や中身まで注文することもほとんど見られない。もし細かい内容まで注文すれば、店も居合わせた周囲の者も、「うるさい客」と批判的に思われることは間違いない。 グループや複数で食事に行っても、各自がばらばらに、自分の好きな食べ物を注文しようとする。誰かの注文に合わせようということはまずない。また、何を食べればいいかを同席の人に聞いたり、何がお勧めであるかをウエイターに尋ねたり、相談したりする光景もよく見かける。また、注文した食事の料理の仕方や中身の材料にまで、細部にわたって指示したり、注文をつける人も多く、店側もそれらの行為は当然のこととして、柔軟に対応することが多い。さらに、食べ物の内容、味付け、ドレッシングなど、細部にわたってお客が選択することを前提としているため、注文する際に、ウエイトレスから尋ねられることが多い。

 

●請求書への反応
日 本
アメリカ
請求書を受け取ってから支払うまでに、時間の余裕があれば、その内容を入念に調べる。但し、時間がなかったり、人前であったり、その場ですぐに支払うことを期待されているような場合、例えば、レストランでの食事代、ホテルの宿泊代、飲み屋での飲食料などは、その内容をあらためることに抵抗を持つ人が見られる。特に男性の場合、請求書を細かくチェックすると、周囲のものから、「金払いが悪い」「することが細かい」などと、否定的に見られることがある。また実際に、請求書の内容が間違っていることは少ない。 いつ、いかなる場合でも、請求書には入念に目を通して、細かくチェックする。男性であろうが、女性であろうが、納得いかない内容については、説明を要求したり、詳細に尋ねたりする。内容について尋ねることに抵抗を持つ人は少なく、周囲の者も当然であり、むしろ、自然な事として考えている。すべての自分の行為は、自己の責任においてなされているという理念が、このことにも反映しているのかもしれない。また実際に、請求書の内容が間違っていることが多く見られる。

 

●間違いと失敗
日 本
アメリカ
間違いをおかしたり、失敗することはよくないという潜在的な認識がある。それを理性的に否定しようという姿勢があっても、いざ現実では、間違わないように、失敗しないようにという意識が、常に行動と一体化して同時に働き、間違うことや失敗することに、抵抗と恐れを持っている。特に、人前での間違いや失敗は、恥辱的であると考える人が多い。また、間違いや失敗に対して、周囲の者が批判的言動を行ったり、寛容に対応しなかったりする場合も多いため、そうなることを恐れて、行動したり、実践したりする前に、自分で結論を推測して、行動に移さない場合も数多く見られる。つまり、間違って非難されたり、失敗して屈辱を味わうよりは、何もしない方がいいと考えてしまいがちである。その結果、やりたかったけれども、実行しなかったことに対して、後悔する人が多い。 間違いをおかしたり、失敗することそのものは、いけないことでも何でもなく、人が間違うのは当たり前、失敗して当然という気持ちが根本的にある。さらに、間違いや失敗を考えるより、「とにかくやってみよう」という興味や好奇心が、常に先にでてくる。すなわち、通常の生活で何か行動する時、やりたいことはまず実行することが先決であり、それで行動は完結している。結果は全く別のものなのである。そして、結果が間違いや失敗であったと解れば、何故それが間違ったのか、失敗したのかを考えようとする。同じ間違いや失敗を、同じ経過をたどってすることがないように努めればよいと考える。
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