この体験入学のプログラムが始まって、初めて朝から晴れ間がのぞいた。 Spanaway グループの日本人生徒達が、学校で友達と勉強出来るのは今日が最後だ。
朝学校へ行くといつもと雰囲気が違う。先生達が、先日亡くなった先生への哀悼の意を表して、ネクタイを付けていたのだ。そしてアメリカらしいのは、Tシャツの上にネクタイを付けていたことだ。亡くなられた先生も、いつもネクタイを付けていたそうだ。
いつもの様に、ホームルーム時に、一日の予定を確認した。実は日本を出発する直前に、当初の予定が変更となって、今日はいつもの授業ではなく、日本人生徒達にプレゼンテーション(さよならパーティーの簡略版)をするようにと、学校側から依頼されていたのだ。こういったスケジュール変更はアメリカではよくある。加えて、プレゼンテーションの詳細が、学校側から伝えられたのも今日になってからだ。これを伝えると、あー!プレゼンは今日だった!!という生徒が何人も見られた。生徒達は昨夜、このホームステイの一大イベントであるさよならパーティーを終えたばかり。それに昨夜は、パーティーが終るとすぐにホストファミリーと帰って行く生徒がほとんどだった。おまけに後片付けをしていると、忘れ物は
あるし、使った物が片付けられていないしといった、慌ただしい状況。そのため、昨日のさよならパーティーに使った道具を、今日のプレゼンテーション用に準備していない生徒もちらほらいた。
取り急ぎ、校長先生のリクエストやTCの意見を聞き、出し物を決めた。8年生、7年生、6年生それぞれの学年に向けて順に発表していく。さよならパーティーは約3時間だったが、このプレゼンでは、1学年当たりに発表できる時間は、20分ずつしかない。以前、生徒達にプレゼンテーションの案内をした時には、短い方が良いという反応であったが、今日はむしろ逆だ。さよならパーティーの演目全てを披露することは、物理的に不可能なので、与えられた時間に合わせて、ほぼ即興で演じなくてはならない状況なのだから。ひとまず演目は、楽器演奏、日本舞踊、けん玉、紙芝居、PPAP、そして歌に決めた。もし時間が余れば、アメリカ人生徒からの質問の受け答えや、生徒それぞれが準備してきた日本や自分について紹介をする予定だ。
会場へ急いで移動し、流れをもう1度確認し合った。そして、アメリカ人生徒が来ると自分達の席がなくなると言われたので、日本人生徒で固まって場所取りした。
いよいよお世話になったアメリカ人生徒達の前で発表する時間となった。まずは8年生に向けての発表だ。本当に即興に近かったが、Spanawayグループの生徒達は精一杯よくやってくれた!7年生、6年生それぞれに向けて発表する前に、音楽の先生も来てくれて、ありがたいことに準備できなかった曲をパソコンから流せる事になった。また、アメリカ人生徒達からは、たくさんの質問も飛び出した。生徒達は、ずっと不安や緊張の面持ちであった。これも日本人気質であろうか。準備が完璧でないと、落ち着かないというか、物事にポジティブに向き合えない。アメリカでは、即興でスピーチをしなくてはならない事など多々あるのだ。しかし、そんな不安は取り越し苦労だったのか、プレゼンは大盛況のうちに終わった。そして、プレゼン後の生徒達の表情は、自信に満ちあふれていた。無我夢中であったかもしれないが、こうした文化の違いを経験することが、成長していくための大きなステップになったことは間違いないであろう。
1-3限目にプレゼンテーションをさせてもらい、4限目からは、バディ達のいつもの授業に再び参加した。各クラスで、生徒達は写真を撮り合ったりして、最後の時間を楽しんでいた。外で体育の授業をしているのが見えたので、ある生徒にどうしたのか尋ねてみた。すると、先生が、「もし自分を笑わせることが出来たら、外で体育をしても良いよ。」と生徒達に言ったらしい。そんな面白い提案をするのはどんな先生なのか、またどんなギャグが先生にウケたのか気になり、外に行って先生と話したところ、アメリカの学校の考え方として、勉強よりも、まず人間関係を大事にしているのだと話された(ちなみにどんなギャグだったかは聞けず仕舞いだった) 。
また、ランチタイムに生徒達の様子を伺っていると、アメリカ人生徒達から、「学期末までいるの?」、「ずっと一緒に勉強できるの?」、「残れない?」とか聞かれていた。たった一週間ではあったが、日本人とアメリカ人生徒達は、いつの間にか言葉の垣根を越えて、仲良くなっていた。登校初日のあの不安げな表情は、見る影もない。生徒達の成長ぶりと逞しさを感じた。
一方、先生達のラウンジには、メキシコ料理が並んでいた。これは、毎週金曜日の恒例となっているらしいが、先生達それぞれが作ったものを持ち寄って、自由に食べられるようにと、あの、先日亡くなられた先生が始めた事だそうだ。今日は、その先生を偲んで、特別に、いつもより凝った物を、とメキシコ料理を準備したらしい。壁には、車好きだった彼のコレクションのトラックの写真が飾ってあったり、飾り用の車の中に、皿やフォークが置いてあったりした。生前の先生の姿が偲ばれた。
そして午後の授業が終ると、一旦ホームルームの教室に戻って、荷物をまとめて、帰り支度をするよう促された。そして、急いで学校の建物の玄関前に集合するようにと言われた。これは、少しでも多くのアメリカ人生徒達と挨拶し、お別れする時間を取らせてあげたいという TCの計らいだった。だが、生徒達は、外の集合場所に行く前に、バディに手紙を渡したり、この学校とももうお別れだと泣いたりして、なかなか外に行きたがらない。見ているこちらも胸がいっぱいになった。生徒達は初めての環境に戸惑いながらも、皆、一日も休むことなく学校生活をよく頑張ったと思う。言葉にも授業にも果敢に取り組んでいった。この経験は一人ひとりにとって一生の宝物であり、励みとなる事だろう。それも、生徒達を快く迎え入れて下さった先生、バディ、そして多くのアメリカ人生徒達があってこそ。感謝は尽きない。
いよいよ月曜日の早朝の便でシアトル空港を発つため、日曜日の夕方には、ホストファミリーと別れ、ホテルで一晩を過ごすことになっている。残された時間はあとわずかしかない。短い時間ではあったが、親代わりとなって生徒を受け入れ、愛情を注いで下さったホストファミリーに、しっかりと感謝を伝えてほしいと思う。別れは切ないが、悔いのないよう最後の時を過ごしてほしいものだ。
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