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3月29日(水)

3月31日

3月30日(木)

4月3日

3月31日(金)

4月3日

4月2日(日)〜4日(火)

ポートオーチャード レポート 4月2日(日)〜4月4日(火)

いよいよ今日がアメリカでのホームステイ最後の日だった。金曜のさよならパーティー以降、各家庭で土曜を過ごし、今日の午前中まで各ホストファミリー宅で過ごしたあと、夕方6時30分にいつものマーカスウッドマン中学校に集合だった。集合場所へ行くと、空港行きのバスの前に家庭ごとに集まっており、別れの瞬間を各家庭ごとに迎えていた。TCのイボンヌがみんな揃ったので、バスに乗り込むように生徒たちに声掛けをすると、それぞれの家族たちともう一度ハグを行い、別れの挨拶をし始めた。生徒たちは別れの実感をし、何人かの生徒は涙を流してホストファミリーとかたくハグをし別れを惜しんでいた。なかなか離れがたい空気のところ、もう一度イヴォンヌが生徒たちに声をかけ、生徒はホストファミリーから離れて、バスに乗りこんでいった。
バスに乗られ、しばらくは社内が静かだったが、バスの変わりゆく景色が助けてか、しばらくすると生徒は話をはじめていた。約一時間半バスに揺られシアトル空港近辺のホテルに到着した。
ホテルに到着するとすぐに、生徒たちにホテルでの行動の注意事項を伝え、就寝するように伝えた。ここでイヴォンヌともお別れで長くお世話になったTCの先生にハグをしてお別れを伝えた。ここからはアンというTCがサポートをしてくれた。明日の出発は四時と早い。

次の日は朝早く起きるとすでに数名の生徒が下に降りており、モーニングコールの助けもあって、生徒たちは何とか出発時刻前には全員起きて、ホテルの用意した朝ごはんまで終了してシアトル空港まで移動した。帰りの行程では行きの行程と同様にポートオーチャードのグループは二つのグループに分かれることになっており、シアトル空港で次のサンフランシスコ空港に備えて、沖縄と福岡空港から来たグループと、長崎、熊本、鹿児島から来たグループに分かれた。

いよいよ、アメリカともお別れだ。搭乗手続きが終わり、保安検査を終え、搭乗口付近で待機していると、いよいよアメリカを出発する実感がわいてきた。

そこで、生徒たちにホストファミリーはどうだったか?今回のプログラムはどうだったかと聞くと、ホストファミリーもバディもアメリカ人はみんな優しかったと答える生徒が多かった。もちろん、ボランティアで他国の生徒を一週間預かるなんてしてくれるホストファミリーなのだから、日本人の生徒をすごく歓迎してくれていたからだと思う。しかし、それと同時に、今回のポートオーチャドグループはそのホストファミリーのやさしさに気づき、感謝してその気持ちを言葉だけでなく何らかの形でホストファミリーに伝えることができたから、最後まで大きなホームシックもなく、修了できたように感じる。生徒たちの日記を読んでいても、学校初日の一番つらい時だって、打ちひしがれることなく、前向きに明日は頑張ろう!などの意見も書いてあった。ここでも家でホストファミリーのやさしさに触れ、また明日頑張ろうと思えたと書いていた生徒もいた。今回はアメリカに十一日間、英語漬け、親から離れ一人で、困難はたくさんあっただろうが、常に前向きに忍耐強く向かっていく生徒たちには感心し、これからも時に楽しく、前向きに生活を送っていってほしいと思う。もし今後困難にぶつかったときも、今回まったく言葉が通じず、相手の言っていることもわからない中で、ジェスチャーや絵をかいたり、自分のできる限りでそのバリアを超えられたことを思い出し、前向きに向かっていってほしい。そして、是非、アメリカにあるもう一つの家族との絆を絶やさないように、連絡を取り合っていってほしい。これから英語の勉強を積み重ね、ホストファミリーとのコミュニケーションを図っていくのもいいだろう。 

最後に、今回とても前向きで、頑張り屋なポートオーチャードのグループの皆さん、十一日間お疲れ様でした。改めて、このプログラムで学んだことをぜひここで完結させるのではなく、残りの人生に生かしていってほしいと思います。四月からはまた環境が変わったり、慣れていくのが大変かと思いますが、皆さんならきっとうまくいくと思います。また、気軽にカルチャーセンターに連絡をくれたり、どこかの機会で皆さんにお話できるのを楽しみにしています。

Good luck on your new journey!

ポートオーチャード レポート 3月31日(金)

今日はいよいよ最後の学校の日だ。日本語の授業がある生徒が多く、日本語の授業では先生が特別に自己紹介の時間を設けてくれた。生徒たちはその時間を使って、改めて自己紹介をした。そこには最初の頃にあった、自己紹介や英語を話すことに対するためらいは見られず、生徒たちの成長を感じる瞬間だった。生徒たちは家族の写真をもってきて、家族の紹介、学校の紹介、部活動の紹介などをしていた。その後、アメリカ人の生徒たちはTCが用意してくれたTシャツに日本人からサインをしてもらい、日本人の生徒たちは中学校がくれたTシャツにサインをもらっていた。5日間という短い期間だったが、バディとの絆はしっかりできており、お互い顔を見合わせて、サインをしあっていた。日本語のクラスでは帰国後の文通のため、メールアドレスもホワイトボードに書いていた。クラスの途中で別のアメリカ人の先生が、なぜかリンカーンの恰好をして現れるというパフォーマンスもあり、アメリカならではのユニークさを感じた。

  お昼ご飯には、みんなでマクドナルドへ行った。買った人も、Sサイズのドリンクを頼んだら日本のLサイズのカップで出されて、サイズの違いに驚いていたり、他には頼み方が違ったり、味が違ったり、お弁当を持ってきた人もマクドナルドの中で食べることができ、それぞれお昼ご飯を楽しんだ。

  午後のプログラムは、高校の裏にあるポートオーチャードの消防署に向かった。男女の消防隊員の方がおり、とても快く受け入れをしてくださった。「今日は消防車に乗ったり、装備を見せてくださいます」と伝えると生徒たちの顔が好奇心にあふれた顔になった。裏側に回ると、女性隊員が大きな消防車を近くに止め、降りてきた。女子生徒から「かっこいい!!」と歓声が上がっていた。生徒たちは運転席に座らしてもらったり、横のハッチに備わっている救助道具をぐるりと周りながら写真に収めていた。その後、消防服を着用させてもらったり、はしご車の上に備わっている放水口をリモコンでコントロールさせてもらったり、様々な体験をしていた。途中で、緊急の無線が入り、消防車の一台が出動していった。その後は、消防署の中で隊員たちがどんな生活をしているか生活の部屋を見学し、最後に火災の発生率など生徒は積極的に質問をしていた。

  消防署の見学が終わると、そのまま"Dollar Tree"という百円均一のような場所に行き、それぞれお土産などを買った後、再び中学校へ戻り、そのままさよならパーティの準備を始めた。生徒たちは、ホストファミリーへのサンキューカード、学校への寄せ書きの準備を始めた。それと同時進行でさよならパーティの準備を始めた。演目は、司会、あやとり、マジック、空手、ピアノ、よさこい、サンキュースピーチ、展示物で、書道、桜の木の絵を描く(みんなで指に絵具をつけて花を咲かせるもの)に決まった。生徒たちは各演目に分かれて準備を始め、途中にイボンヌが用意したピザを食べ、何とか、一通り練習が終わったところで、時間になった。

  時間になり、ホストファミリーが集まると、イボンヌが挨拶をし、ホストファミリーと生徒にアイスクリームをふるまい、一通り振る舞いが終わったところで、さよならパーティが始まった。

まず、司会の二人が簡単な挨拶を行い、演目の紹介を始めた。あやとり組はそれぞれ一回ずつ、一人あやとりをして見せ、二人であやとりを行った。マジックは、ホストファミリーに手伝ってもらい、カード当てを無事成功させた。空手組は学校で習った空手をみんなで型のタイミングを無事揃えていた。ピアノ組は練習してきた曲を、一人ずつキーボードで弾いた。ダンス組はソーラン節を日本人で行い、その後にホストファミリーも参加させ、盆踊りを行い、会場は盛り上がった。最後に沖縄の男子高校生が、みんなを代表して感謝の気持ちを述べるスピーチを行い大きな拍手をもらった。急ピッチでの準備になったが、スムーズにパーティーが進んでいた。終盤は、イボンヌたちから各家族ごとに前に呼ばれ、修了証書の授与式があった。そして、それぞれの家族写真を撮った後、家族ごとに桜の木のスタンプを押していった。すべてのパーティーがあっという間に終わったが、修了証書をもらうときは、生徒たちも別れの実感がわてきて涙を浮かべる生徒もいた。TCの先生たちにはお礼として、似顔絵を描いた寄せ書きを渡した。パーティーが終わった後も、書道のコーナーでホストファミリーに習字を教えていたり、学校で一緒だったバディと話をしていたり、皆プログラムの終了を惜しむかのようにしばらく残っていた。

  これで学校は終了になるのだが、まだ、土曜と日曜があり、もちろん帰るまでがジュニア留学である。生徒たちにくれぐれも風邪をひかないように、そして、帰るまで気を抜かないように伝えた後、それぞれのホストファミリーと解散していった。

ポートオーチャード レポート 3月30日(木)

ついにアメリカでの学校生活も残り二日となった。昨日の雨模様とは打って変わって今日の天気は晴れ、とても気持ちがいい天気だった。生徒たちは今日も元気に登校してきた。帰るまでこのままの健康な状態で保っていけたら文句のつけようがない。全員がそろうと今日も図書室に移動をしおととい、その前の日と同じ時間割でバディと授業に移動していく。イボンヌがバディにTシャツを渡していた、日本人の生徒からサインをもらうように渡しているらしい。日本人の生徒もおとといマーカスキットマンのTシャツをもらっており、それにサインをしあうのだという。お互いにとってすごいい思い出の品にになると思う。

  授業を回っていくと、生徒たちは昨日よりもさらにバディと仲良くなり、クラスにも打ち解けていた。数人の生徒はグループワークをするときに一緒に班になってしていた。昨日の日記を読んでみても、授業の中身がわかるようになっていたり、数学の授業の時にアメリカ人に教えてあげたと書いてあったり、積極性も出てきた。世界史の授業では、春休みの前の授業ということもあり、簡単な授業を終わらせた後、自己紹介、日本の中の出身地、日本のことを紹介、折り紙の折り方を紹介のの時間を与えられた生徒もいた。慣れてきたとはいっても、アメリカ人のクラスの前で紹介をするとなると、かなり緊張しただろうが、プロジェクターを使い、堂々と説明をしていた。保護者面談で時間割が短くなっていたり、テストが多いなか、時間をもらえたのは私も正直かなりうれしかった。

  授業の時間が終わり、カフェテリアのある一回に降りてきてみると、TCのシェリルが何かを手に持っており、アメリカ人の生徒が持ってきたのだという。中身を見てみると、ファイルの中にイラストやプレゼントが入っており。Eさんへのプレゼントだという。Eさんにそれを渡すときに心当たりがあるか聞いてみると、どうやら授業が一緒になったときに名刺を渡し、それで持ってきてくれたのだという。生徒の日記にも書いてあったのだが、アメリカ人の優しさにふれ、すごく感謝の気持ちがこみあげてくる。
 
  午後からは、市役所を訪問した。市役所を訪問して驚かされたのは、まず、市長が自らお出迎えをしてくれ、議会へ連れて行ってくれたことにびっくりした。部屋に入ると、市長が生徒たちに議会の劇をしないかと話してきた。役を一人一人決めていき、市長や、議員、法務、土木課の管理者、市民の発言者など、役を決めていった。生徒たちは自分のセリフの順番に合わせて、文章を読んでいった。少し難しい内容のところもあったのだが、すらすらと呼んでいる生徒も多かった。議題は"歩道にある木を切るか切らないか"で、アメリカの市議会でいろいろな方面から意見を聞き、市民の発言を聞いた上で議員が多数決で決まるやり方がすごくわかりやすく説明されていた。

  その後、市役所の地下にある警察署に行った。警察署ではデックさんという女性の警察官が案内をして下さり、途中で巡査部長のパトカーを見せてもらったり、警察の所持品を見せてもらったりした。パトカーの中にはジャケット、盾などが入っており、パトカーのサイレンを鳴らすと日本とは違い、甲高い音で、生徒たちはビクっと反応をしていた。証拠を管理するところ、最後にアメリカの警察について質問をして、生徒たちは日本との違いを確認していた。

  明日は、いよいよ最後の学校の日で、授業があり、その後、消防署、さよならパーティーの準備、本番と忙しい一日になりそうだ。せっかく、慣れたり仲良くなってきたところだが、これでプログラムも最後になるので、一番盛り上がる、忘れがたい思い出になるように、しっかり準備を進めていきたい。

ポートオーチャード レポート 3月29日(水)

今日はアメリカでの学校も折り返しの四日目。今日は朝から雨がしとしとと降っており、これまでより雨風が強いとニュースで言っていた。しかし、今日もみんな元気に登校してきた。昨日帰る時に伝えた通りみんな雨対策や昨日より少し厚着をしてきていた。体調不良者・欠席者はなし。本当に生徒たちはよく頑張っていると思う。とくに、朝、登校して日本人の友達と話をして昨日あったこと等を話したりポートオーチャードのグループ内も仲良くなり、とても雰囲気が良くなってきた。みんなが生活に慣れてきた証拠だと思う。

 今日も全員そろった後、図書室に移動した。さすがに三日目となると最初の緊張はどこ吹く風で、あっという間に生徒たちはバディと共に授業に向かっていった。今日は保護者面談の影響で、昨日とはまた違った時間割になっている。生徒のバディの時間割を見ると、今日はほとんどの生徒は日本語の授業があるようだった。日本語のクラスをのぞいてみると、アメリカ人の先生が日本語の授業を教えており、アシスタントとして長崎出身の日系の生徒が手伝いをしていた。生徒たちはバディの横の席について、最近現地の生徒が覚えた自己紹介の文章の話し相手になっていた。アメリカ人の生徒から日本語で名前、出身、日本の家族のことなどについて質問をされ、アメリカ人が発表をするというようなこともしていた。これまで生徒たちはアメリカ人の中で英語に浸って生活を行ってきて、英語脳になってきていたからか、アメリカ人の話す日本語を聞いて少し戸惑っているようにもみえた。しかし、外国語を勉強し、話すのがいかに難しいか身をもって体験している生徒はアメリカ人の生徒に丁寧に、忍耐強く日本語を教えてあげていた。日本語を教えるのがとても楽しそうにもみえた。日本語の授業以外には、音楽の授業、自習の余った時間でバディとカードゲームをしている生徒もいた。

 午後からは、ブレメルトンにある海軍博物館に行った。海軍博物館は二日前の短大と同じ町にあるのだが、今回は車で湾に沿って向かうのではなく、フェリーに乗って向かった。フェリーの待合は小雨が降っており風が少しあって寒かったが、船の中は思っていたより暖かく、揺れもすくなく30分もしないうちに対岸へついた。海軍博物館は船着き場のすぐ近くにあり、白い、いかにもアメリカという雰囲気の建物だった。博物館では1896年に海軍ができてからの歴史、一番最初の基地の柱の一部や、海軍の基地のミニチュア、海軍の生活、海軍の飛行機についての展示があった。そのほかに、生徒たちは海軍の制服に着替えたり、海軍の野球チームのユニフォームを着たり、実物大の艦内のベットに横たわってみたり、戦闘機のコックピットの座席に座ったり体験型の展示も楽しんでいた。最後にお土産屋によって日本の家族や、ホストファミリーにお土産を買っている生徒もいた。海軍のニットキャップ、ぬいぐるみ、木製の模型を買った生徒がいたようだった。帰りのフェリーからは今は使われていない空母も見えていた。

 明日は、学校生活の終盤に差し掛かり、さよならパーティの準備を進めていかなくてはならない。やっと学校にも慣れてきて、とてもよくやっている生徒だが、学校とのお別れが近づいていることを伝え、残り期間も余すことなくトライをしていってほしい。

ポートオーチャード レポート 3月28日(火)

今日は学校が始まって二日目だ。昨日の学校でTCの先生からも、「一日目の授業は日本人の生徒にとってあまりに違うことが多いのでかなりカルチャーショックが大きいだろう」と言われていたので、今日生徒がどんな顔をして学校に来るか正直心配だった。しかし、生徒たちは自分の心配をよそに今日も元気に登校してきた。すべての生徒がそろうと、今日も体調の悪い生徒がいないか確認をして、そのまま図書室へ向かった。アメリカでの生活も慣れてきたのか、生徒たちの中には余裕も出てきたようで緊張した表情の生徒は一人もいなかった。そして昨日と同じバディとそれぞれの授業へと向かっていった。中にはバディが休みで、今日は違うバディの生徒もいた。昨日は生徒たちも緊張していたが、アメリカ人の生徒も緊張していたが、二日目になるとお互い積極性が出てきて、名前を呼ばれる前にバディを見つけていた。

 今日から"Parents conference(保護者面談)"が行われるそうで、現地の生徒も今日から午前中の授業で学校が終わるとのことだった。午前中だけだが昨日と同じ時間割の授業で、明日は午後の授業を午前に行うらしい。保護者面談の直前は生徒の学力を把握するためテストを行っていたり、自習のような授業も多かった。現地の生徒が自習を受けている間は、生徒たちも教室にある単語を辞書で引いたり、日記を書いていたりしていた。リーディングの授業でバディが読みやすい本を選んでくれていたり、バディがクラスの外のほうが静かだと言って外で勉強している生徒もいた。バディと仲良くなり、廊下のロッカーのダイヤルの回し方を聞いている生徒もいた。また、地理の授業ではプロジェクターを使って日本のどこから来たか、そして家族のことなどを紹介していた生徒たちもいた。

 午前中の授業が終わり、お昼の時間に生徒の昨日の日記を読んでいると、イヴォンヌが言っていたように生徒は昨日の授業を受け、自分が思っていたよりも、話せなかったこと、聞き取れなかったことなど、様々なことにショックを受け戸惑っていたようだった。しかし、読み進めると、「明日に向かって頑張る!」や「明日はまず辞書を出して調べる」など前向きな姿勢を見せている生徒が多く、成長しようとする姿勢がみえる。他には、アメリカ人の授業は日本と違って、発言するタイミング、携帯電話をいじっていたり、自由が多すぎると書く生徒も多かった。各ホストファミリーとも打ち解けてきたようで、今日は数名のホストファミリーと一緒にアイスクリームパーティをしたり、ショッピングに連れて行ってもらったり、日記にもホストファミリーの名前がよく書かれていた。

 午後からは、サウスキットサップ高校に学校見学に向かった。向かう途中、イヴォンヌが運転するバスの中で日本の歌を歌ったり、ムードメーカーのTさんがアメリカの曲に合わせてふざけたり大いに盛り上がった。サウスキットサップ高校に到着すると、案内役の職員がお出迎えをしてくれていて、中に入ると壁に生徒の作ったタイルが張られていた。サウスキットサップ高校は日本の高校では考えられないぐらい公社が広く、授業の内容も座学よりも実習のできるクラスが多いようで、アートのクラス、鉄鋼・木工のクラス、ゲームプログラミングのクラス、演劇のクラス、などクラスの内容もとてもユニークだった。学校の印象として日本の短大ような印象を受けた。なかでも、放送局を学校で持っており、地区の放送やインターネットでニュースを放送していると説明を受けた。今回も日本人のグループが訪問したことで、放送されるようで、数名の生徒、イヴォンヌがインタビューを受けていた。生徒たち特に高校生は自分の学校と比べて、終始驚いていたようだった。

 明日は三日目でまた新しい授業を受ける。午後からはブレメルトンで海軍の基地を見に行く。週の真ん中でアメリカ滞在も早くも折り返し地点に来ている。生徒たちにやりのこしのないように呼びかけていこう。

ポートオーチャード レポート 3月27日(月)

今日はマーカスウィットマン中学校に行く、学校初日だ。ホストファミリーの家でそれぞれの日曜を過ごした後に一日ぶりに生徒に会う。現地の生徒が登校している中、生徒たちがホストファミリーに送られて続々と学校に来る。中には黄色いスクールバスでホストブラザーと一緒に来る生徒もいた。生徒に学校でどんな休日を過ごしたか尋ねると、ホストファミリーの祖父母や親せきが来ていた生徒がいたり、ボーリングや、ボードゲームをした生徒がいたり、シアトルにショッピングに連れて行ったもらった生徒がいたり様々だった。朝の確認で皆元気に登校してきたので、今のところホームシックや体調の悪い生徒はいないようだった。

生徒が集まると、今日のスケジュールの話をイヴォンヌ先生が話し、学校の担当者のザックさんが、二階の部屋に案内してくれた。二階の部屋にはこれから一週間お世話になる学校のバディが待っていて、ザックさんに生徒たち、現地生徒の名前を順番に呼ばれ、ペアになりクラスへと解散した。バディの発表の時の生徒の顔をみると、皆緊張でかまえているようだった。今日から一週間過ごす、しかも自分と同年代、もしくは若いアメリカ人のペアの相手なので、どんな人がなるか期待と不安が混ざった気持だったのだろう。なかには、ホストシスターがバディになったり、異性とだったり、日本語のクラスを取っている生徒とバディになった生徒もいた。

23人の生徒がそれぞれの教室へ分かれていったあと、一限目から四限目までが午前中の授業のある時間で、この時間生徒たちは各コマごとに教室を移動して授業を受けていた。一限目に授業を回っていると、ほとんどの生徒がアメリカ人の先生の話す英語、バディーの話す英語が速い、もしくは口語表現が多く、目を白黒させていたようだった。それでも生徒たちはチャンスを見てバディに訪ねていたり、辞書を出しで単語を調べていたり頑張っていた。二限目以降も同じようにわからない英語が飛び交う中、幾何学、化学、英語の文章、体育の授業などをバディと一緒に受けていた。英語の授業は自分の意見を述べる文章を書くための授業があったり、化学は水槽を環境に見立てて実験をしていたり、コンピューターのクラスは3Dプリンターを使っていたり、日本ではあまり見かけないユニークなクラスを体験した生徒もいたようだった。校舎の外にも教室があり、そこに移動して授業を受けている生徒もいた。

四限目まで終わると、生徒たちはバディと一緒にカフェテリアに移動してきて、それぞれのお昼ご飯を食べた。みんなのお昼ご飯を見てみると、サンドウィッチを食べている生徒が多く、オレンジやヨーグルトをサイドで持ってきたり、カフェテリアでランチセットを買って食べていた生徒も何人かいた。ほとんどの生徒が授業につかれて私とイボンヌのいるテーブルに集まる中、バディと一緒にご飯を食べている積極的な生徒もいた。他には昼食後の休憩の時間に玄関にあるバスケットゴールでバディとバスケをしている生徒もいた。午前中の授業はどうだったか訪ねると、「何言ってるかわからない?」と多く生徒が答えていた。今生徒ができることは聞くこと、単語を調べること、話を聞いている姿勢を見せることが一番の近道だ。食後に一人の生徒が具合が悪そうにしていたので、ホストマザーに早めに迎えに来てもらい、薬を飲んで寝るように伝えた。きっと旅の疲れが抜けていなかったのかもしれない。

ランチが終わると、ホストファミリーの車、シェリルの車、イボンヌのバンに乗って隣町のブレマートンに移動して、オリンピックカレッジというコミュニティーカレッジに移動した。到着すると、国際教育課の日系人の先生と、日本人の学生が出迎えてくれ、そこでコミュニティーカレッジがどんなところかの説明を受けた。四年生の大学と比べて学費がどれぐらい安いのか、アメリカ人の中にうまく溶け込んでいくにはどんな姿勢が必要かを教えてくれ、じゃんけん大会をして、賞品をもらった生徒もいた。また、先生にそれぞれの夢は何かと尋ねられ、驚いたのが、パイロットやファッションデザイナー、管制官に、研究者と具体的になりたい職業をあげられる生徒がほとんどだったことだ。その後、学校のキャンパスを案内してもらい、ホストファミリーが迎えに来るマーカスウィットマン中学校に戻った。

今日の授業は生徒にとってかなり衝撃的な体験だったと思う。きっとホームステイのことをこれから思い出すとアメリカ人の中で英語で授業を受けることの大変さを思い出す生徒も多いかと思う。それでも、立派に一日目を過ごし、前向きな姿勢を見せる生徒も、思っていたより多かった。今日が始まりの日で、帰るころは、短い時間だが、きっと生徒は大きく成長するのかなとも思えた。明日の日記を見るのが楽しみだ。

ポートオーチャード レポート 3月25日(土)

今日はいよいよジュニア留学の出発の日だ。私は前日にに沖縄へ移動し、沖縄組と朝一番の飛行機で出発だった。生徒達は初対面にもかかわらず、笑顔で話しかけてくる、フレンドリーだなと思った。そんな生徒達だからか出発前の手荷物検査の時に保護者と離れた後も「寂しくないか?不安はないか?」と聞くとへっちゃらな様子で、嬉々としていた。飛行機の中では中高生が小学生の面倒を見たり、早くも頼もしい印象を受けた。


羽田空港に到着すると、すでに鹿児島、熊本、長崎、福岡のグループは到着しており、空港出口付近の広いスペースに整列していた。生徒たちの顔つきから想像するに他の県の生徒の出発も、沖縄と同様に冒険心に溢れていたのかなと思えた。羽田に到着するとすぐに、沖縄、福岡発の生徒達はバスで成田空港へ向かい、別行動となった。もう半分の鹿児島、熊本、長崎発の生徒達は宮崎のオークハーバーのグループと一緒に大分のグループの到着を待つことになった。少し時間があったので生徒達同士のアイスブレイクのために、一人一人の自己紹介を行った。生徒達は自分の出身校、趣味、そして自分の意外な一面を紹介し、楽器が得意な生徒が多かったり、陸上だったり、アニメが好きだったりお互いの共通点を見つけていた。これからアメリカで何回もするであろう自己紹介の練習にもなった。

大分組が到着し、オークハーバーの引率の山田先生とも合流し、国際線ターミナルにバスで向かった。国際線ターミナルでは各自用意してきたお昼ご飯を食べ、羽田合流の生徒は発券の手続きを行った。その後時間が余裕があったので国際線ターミナルで自由時間を過ごした。国際線ターミナルはまさに外国への入り口で、色々な人種が往来していた。生徒は慣れているのか、外国人にあまり動じていないように見えていて逆に私が驚かされた。しかし、もっと驚いたのは集合時間の5分前には全員元の場所に戻り、整列を完了していたことだった。今後の団体行動が非常に頼もしい。集合後は保安検査から出国手続きをし、そこを抜けるとブランドの免税店などが並ぶキラキラしたショッピングコーナーになっており、生徒達はやっと新鮮に感じたのか辺りをきょろきょろ見回していた。

搭乗時間になり、機内に入るとき、アメリカ人のCAが機内で挨拶してきたり、いよいよ日本を出る実感が湧いてきた。出発して少しして生徒の様子を見回りしていると、ほとんんどの生徒が前の座席についているモニターで映画にくぎ付けだった。しばらくすると、CAが夕食を配って回り、英語で「カレーか?、パスタか?」聞かれ、おそらく、今回最初に触れる生の英語で生徒達は目をぱちくりしていた。隣の席の生徒に機内食の味はどうだったか尋ねると、「意外と美味しいです」と言っており寛容さに驚いた。その後、消灯の時間になり見回りすると、モニターの明かりも消えていたようだった。生徒達は機内で寝たり起きたり、映画を見たりを繰り返しているようだった。

長時間のフライトを過ごし終わり、着陸すると、アメリカの入国審査と税関申告があった。入国審査では長い行列ができており、そこで一人一人審査官の前に立ち、入国の目的・期間を聞かれたり、指紋をとられた。入国の審査の空気感のせいか、英語の受け答えをするからか、生徒たちはとても緊張した表情だった。しかし、そこを抜け、スーツケースを受け取り、税関を通るとそこはもうアメリカになり、一変して、生徒の顔に期待と興奮と喜びの表情が見えた。

その後、国内線へ移動して、2回目の自由行動を取り、初めてアメリカのお金を使っている生徒がいた。コインの使い方が分からず困っていた生徒に、後ろから端数を払ってくれた親切なアメリカ人のお客もいた。最初はお金の使い方、お金の価値観、頼み方が分からず、英語も聞き取れずでおっかなびっくりだったが、一人の生徒が飲み物を買うと、あとに続いて数人購入していた。空港での飲み物は割高でペットボトルの飲み物が一本4ドルしたそうだ。しかし、生徒たちは皆達成感のあるような満足げな表情だった。

アメリカ国内線に乗り、シアトルにたどり着いた。ここまで長い行程で、さすがに疲れてきたのか「飛行機がきらいになった。」という生徒もいた。ここで、オークハーバーのグループとお別れし、日記やホストファミリーの名前を確認しながら、成田からくるもう半分のグループを待った。途中でこれからお世話になるTCのイボンヌとシェリルが空港に来てくれた。これまで日本語でのみ話をしていた生徒が、たくさん英語で話しかけてくるTC達の出現で少しおとなしくなった。成田からグループがつく頃は、もう薄暗くなっており、そこからバスで一時間ほどかけてポートオーチャードへ向かった。

ポートオーチャードに向かうバスの中は、TC達と話そうとする生徒や、疲れて寝ている生徒、新しくできた友達と話をしている生徒とそれぞれ過ごしていた。バスがつく頃には窓の外は暗くなっており、いよいよホストファミリーとの対面になった。部屋に入る前に生徒は一人ずつ名前を呼ばれ、ホストファミリーも呼ばれ、お互いに挨拶を交わしていた。ここでも生徒たちは自分のホストファミリーがどんなホストファミリーか緊張したお面持ちだった。ホストファミリーはハグをしてきたり、旅の疲れをねぎらってくれたり、やさしく歓迎をしてくれた。対面後はイボンヌから丁寧にホストファミリーに日本とアメリカの生活の違いがあり、ホストファミリーから教えるように説明があった。生徒達はホストファミリーが用意した夕食を食べ、それぞれのホストファミリーの家へ分かれていった。

これだけ長い長い1日を生徒は過ごしていたのだが、まだまだ10日間の冒険の始まりである。特に明日一日はホストファミリーと過ごす日だ、この一日に今日の疲れを取り、生徒がどんな体験をしたか月曜に聞くのが楽しみだ。

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