アカデミックホームステイに参加したある中学生のホームステイ記録(日記)です。彼女がホームステイの中で、何を感じ、何を思い、何を考え、何を得たのか。

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■ はじめに 目次 登場人物
■ 01日目 07月31日
■ 02日目 08月01日
■ 03日目 08月02日
■ 04日目 08月03日
■ 05日目 08月04日
■ 06日目 08月05日
■ 07日目 08月06日
■ 08日目 08月07日
■ 09日目 08月08日
■ 10日目 08月09日
■ 11日目 08月10日
■ 12日目 08月11日
■ 13日目 08月12日
■ 14日目 08月13日
■ 15日目 08月14日
■ 16日目 08月15日
■ 17日目 08月16日
■ 18日目 08月17日
■ 19日目 08月18日
■ 20日目 08月19日
■ 21日目 08月20日
■ 22日目 08月21日
■ 23日目 08月22日
■ 24日目 08月23日
■ 25日目 08月24日
■ 26日目 08月25日
■ 27日目 08月26日
■ 28日目 08月27日
■ 29日目 08月28日
■ 30日目 08月29日

筆 者: 濱 田 純 逸

●08月10日 日曜

ジム、ラナ、キムと一緒に、ボートレースを見にいった。スカートにブラウススタイルでいったら、暑いこと暑いこと。まわりはみんなビキニか、はだかか、ジョギングスタイルかで、たまぎって【注044】しまった。すわるところはないし、ボーとつったって二時間ぐらい。かんじんのボートレースは、十分程ですぐ終わった。キムやラナも疲れたらしく、けんかばかりしていた。どこでも女性はストレスが【注045】たまってしまうんだな。私はボートレースより、飛行機のやったショーの方がずっとおもしろかった。バスにも酔うし【注046】、さんざんな一日だった。特におおぜいの人の前で、へいきにだきついてキスしているカップルを見るたびに、ためいきが【注047】でてしまった。つかれたビー・・・。それでも一人になると悲しくなる。家に帰りたくて【注048】しょうがない。肉やさしみが食べたくてしょうがない。梅ぼしも数少ないし、これからどうしよう。また、麦ごはんがでないかなあ。父さん達に手紙を書く時も、それが頭からはなれなくて、つい本当のことを書いてしまった。心配しなければいいけど・・・【注049】。マァ、いいか。明日の農場見学には、キム達も連れていくことにした。持っていく昼ごはんが、チーズバーガーとかなんとか。ワーイ、期待しちゃう。子供達がねだったのだ。やっぱり、どこの親も子供には弱いんだなあ【注050】。写真をバッチリとるぞ・・・。牛がいるんだそうだから。

注044
「たまげる」というびっくりするということの鹿児島の方言である。おそらく、開放的なアメリカ人の格好に、信じられないほどの驚きを感じたのであろう。ひょっとしたら、彼女にとってはとても容認できないようなものなのであろうか、それが「たまぎってしまった」という俗語的な、方言を使っての口語的な表現で思わずつぶやかれたのかもしれない。その分だけ彼女の驚きの強さが、読み手にも強く伝わってくる。
注045
普通に読み進むと気にもとめないことであるが、ここもまた彼女の感性が見られると思う。ホストシスターの姉妹が、疲れからか喧嘩ばかりしているのを見て、「どこでも女性はストレスがたまるんだな。」と分析したり、行動様式から原因を推察したり、印象を書き留めたりする彼女のあり方は、鋭い観察力に基づくものである。人間のほんの些細な行動を観察して、そこからその背景にあるものを類推し、演繹的に物事を考えてみようとする。それが中学生でありながら、異文化での生活でも発揮されているわけであるから、彼女の一ヶ月間の異文化生活体験で得られたものは、計り知れないほど深いものがあるような気がする。
注046
日曜日にバスに乗ってボートレースを見に、ホストファミリーと行った時の事である。彼女は非常に乗り物に酔いやすく、そのため期間中に酔い止め薬を何回か飲んだらしいが、眠たくなるためホストファミリーが気をつかわないかと、心配だったそうである。確かに、お世話するものとすれば、乗り物に酔う子より酔わない子がいい、内気な子より元気な子がいい、黙っている子よりおしゃべりな子がいい、消極的な子より積極的な子がいい。でもそれは理想であって、参加者とホストファミリーの出会いの後は現実を受け止めるだけであり、時間の経過と共にお互いの心が通い、情が生まれて、その理想は気にもとめない非現実的なものとなる。
注047
異文化ではどうしても受け入れがたい、容認しがたい価値とも出会う。先述の「たまぎってしまった」といい、この「ためいきがでてしまった」といい、そして、次の「つかれたビー」という表現は、これらのどうしても受け入れがたい価値に囲まれて生活している自分に違和感を感じ、ホームステイのその環境に疎外感や孤立感をふと思い、異邦人としての自分を発見している慨嘆であろう。だからこの後に、「それでも一人になると悲しくなる」と続いていくのは、もう必然でしかない。そのときは何気なく書いた日記なのであろうが、自分の気持ちを忠実に、偽らず書いているのだろう、本当に心や気持ちの変化がどのようにして推移し、変容していくのかが、手にとるように理解できる部分である。
注048
ホームシックになるのは圧倒的に女子参加者である。男子参加者のホームシックは小学生以下には散見されるが、中学生以上の年齢ではほぼ皆無である。さらにホームシックは女子参加者間で伝染することを体験的に私達は知っている。もちろん、ホームシックには程度があり、実際に彼女がホームシックであったという報告は引率教師を通しては聞いてはいない。だから、日記にこのように書く程度のことはほとんどの女子参加者にとっては共通することかもしれない。基本的に、私達は参加者のホームシックがこの程度であれば大いに歓迎する。体験学習の視点から言えば、ホームシックを体験することは貴重であるし、異文化でのそれは簡単に誰でも体験できるものではない。彼女にしても、到着後四、五日続いたホームシックとは違って、この時はそれほど深刻なものではなかったそうである。
注049
自分が書いた手紙を読む親に思いを馳せているくだりである。自分の行為が他者に及ぼす結果を予測して、他人への配慮を行える参加者とそれがまだ困難である参加者に分かれる。その相違の根幹を左右するものは、客観性であろう。客観性の乏しい生徒には周囲のものは見えにくい。客観性のある生徒は、自己と他者との関わりを俯瞰する自己の存在がある。自分の書いた手紙が、両親の心にどのような影を落とすのだろうと憂慮している彼女の心は美しい。「つい本当のことを書いてしまった。」と書く彼女から、通常は「本当の事を書いていない」彼女の存在が実在することを私達は知らされる。ここにおいて、本当の事を書いていない参加者の心とはいったい何なのかと考えさせられる。子を心配する親の心同様に、遠い異国で親に心配をかけないようにと考えている子の存在も、また、実在するのだとつくづく思い知らされたくだりであった。それが中学生であることに、感嘆もすれば、嬉しくもある。
注050
ホストシスターが明日の社会見学に同行することから、お弁当がチーズバーガーだとかやらで、他愛もない話であるが、そんな話の中にも「やっぱり、どこの親も子供には弱いんだなあ。」と結んでいくところが、興味深い。

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登 場 人 物
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 田中みゆき
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 ジム アレトン
ホストマザー キャシー アレトン
7歳の双子の姉 ラナ アレトン
7歳の双子の妹 キム アレトン
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