ブラッシュアップホームステイに参加して
― 日本語教師 ―

 

鹿児島純心女子短期大学 英語科   川 畑 美 紀

 

 今回のホームステイは、私にとって2回目である。前回はアカデミックホームステイで、米国のオレンゴン州に4週間滞在した。この時、アメリカの人々とのコミュニケーションによって私の英語への好奇心は、ますます高まった。同時に今回のホームステイに参加したのである。このホームステイが他と違うのは、個人単位でスケジュールを組め、ステイ先で働くことを体験できるという点である。私は前回のホームステイ以来の夢であった日本語教育という目的で、約5週間米国カリフォルニア州のサンタマリアという町に滞在した。ホストファミリーは4人家族の日系人であった。しかし、彼らは全く日本語を話せない。母親は公立小学校の先生だったので、私は母親と毎日小学校へ通い、ボランティアとしてそこで働くことになった。出国前、予備知識のない私にとって出来ることは、参考になる雑誌を読むぐらいであり、出国の日が近づくにつれて、あせる気持ちが高ぶるだけであったが、私の受け持つクラスは2年生だということがホストファミリーからの手紙でわかり、ほっとしたものである。そこで、小さな子供達にも作れそうな折り紙、理解しやすそうな物語、短く歌いやすいような動揺を集めるなどして、無事準備を終えた。
 学校に通い出してからは、毎日がものすごく早かった。毎朝7時過ぎに家を出て、4時には帰宅するのだが、毎日ぐったり疲れていた。というのも、一つの教室に約30名程の児童がいるわけだが、何と驚いたことに、英語を話せない子が5分の1程いるのだ。そういう子達はスペイン語を話す。カリフォルニアは、メキシコと接しているために、メキシコ人が大勢流れ込んでくる。というのは、メキシコという国がアメリカほど恵まれていないからである。彼らは家を持たず、仕事も持たない。つまり、何家族か一緒に住み、ある一定期間が過ぎると、次の場所へ移っていく。そういう人々を保護するため、カリフォルニアの人々は、高い税金を払っているそうだ。メキシコ人の子供達に半端な時期の転校生が多いのもそのためである。それから小学校にはパートでスペイン語を話せる人が何人か雇われている。両カ国語話せる子は、私とメキシコ人の子の間で通訳してくれた。
 休み時間はというと、ボールや縄跳びの取り合いが始まる。そして、すぐに私も取り合いの対象人物となった。私が小さな頃やっていた遊びを教えると、他の学年の子供達も寄ってきて、広い校庭の一部に大きなひとだかりができた。彼らは新しいものや珍しいものに非常に敏感で、私にすぐなついてくれて嬉しかった。放課後、親が迎えに来ると、私も一緒に連れて帰ろうとする子もいた。みんな常に跳んだりはねたりしていて、とても元気だった。授業時間は2カ国語で話をするので、大変だった。スペイン語で質問され、答えてあげられなかった時はちょっとつらかった。本当の先生より私を頼ってくれるのは嬉しかったのだが。授業中の彼らは、決して優秀ではなかったが、元気さは失わない。些細なことで、喧嘩が始まる。先生が注意しても隠れて続行。そこで「おりこうな子は私と一緒に折り紙しよう。」の一言で、みんな必死でプリントをやり始めた。ある日、1時間もらって折り紙をみんなに教えたら、他のクラスや他の学年の子供達が、私の周りに殺到した。チューリップの歌を教えると、みんなすぐに覚え、ある時、私のホストマザーでもある先生が私のために子供たちと一緒の校外学習に連れて行ってくれたのだが、博物館で館長の話を聞いている時、突然「私達、日本語の歌が歌えるの!」と元気な女の子の声。それから館長の話どころではなくなって、結局そこでみんな揃って歌を歌い始めたこともあった。そのあと、消防署、図書館、スーパーマーケットでも同じことが起こった。けれども私は本当に嬉しかった。
 最後の私の仕事として、桃太郎の劇をした。日本で見つけた英語で書かれた絵本をもとに、簡潔に要約して、まず紙芝居で物語の紹介をした。意外と評判がよかったので、あとの準備が気楽にできた。ホストマザーと話し合いながら、セリフを作り、歌を訳し、小道具を作った。男の子達は、「鬼」に大変興味を持ったらしく、鬼役の希望者が多かった。完成後、いくつかのクラスをまわって発表会をした。どこのクラスでも鬼がとても評判がよく、私としては少し意外な気もした。
 私の滞在もあとわずかになった頃、教室内には英語、スペイン語、日本語で挨拶がかわされるようになった。子供達はカタカナで自分の名前を書けるようになっていた。プリントの課題を集めた時、何人かの子供達が名前をカタカナで書いたため、自分の名前も書けるようになっていた。プリントの課題を集めた時、何人かの子供達が名前をカタカナで書いていたため、先生が困って私にたずねてきたこともあった。
 現在、日本は世界にとって特にアメリカにとってはなくてはならない存在であるが、まだまだ日本の文化については、理解されていなく、誤解されている部分が大きい。日本文化が西洋化しているからなのかもしれない。私自身そうであったような気がする。機会があれば、もう一度渡米して、確かな日本文化を伝えたい。そして、是非このプログラムを就職前の大学生に利用して欲しい。きっと役にたつと思うし、自分を磨く材料にもなるだろう。


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