ブラッシュアップホームステイに参加して
― 医療関係 ―

熊本大学 医学部  小田切  啓

 

   私は今夏、2度目のアメリカを経験することができた。今、夏のことを思い出すと、非常に短い一瞬の出来事のように感じるが、その時は、毎日毎日が非常に長く感じた。このブラッシュアップホームステイで、自分の道である医学に関して、他国、アメリカでいろいろと勉強、見聞、経験することができた。まだ医学部1年生の私にとっては、大学での勉強といえば、2年間は一般教養であり、医学的なことを学ぶことは少ないので、このアメリカでの体験は非常に実り多い素晴らしいものであったと感じる。
 私が今夏滞在した町は、サンフランシスコとロサンゼルスの中間に位置するフレズノというレーズンで有名な町であった。私がこの町を選んだのは、5年前にホームステイした所から比較的近いからである。そこで開業医のDr.マイケルさんの家に2週間滞在した。彼は独身で家にはルームメートとしてマイケル(偶然同じ名前)も一緒に生活しており、彼は働きながら大学へ通い、医療技師を目指している人であった。Dr.マイケルは、一見、見たときに思った通りの非常に人間味のある温厚な人柄であり、また、趣味がスキューバダイビングということで、世界をいろいろとまわっているらしく、日本を訪れたこともあり、非常に日本文化や日本人を気に入っている人であった。そういう人に囲まれながら、私での病院での研修は進んでいったのである。
 私は2週間の研修の中でいろいろな病院をまわり、アメリカの医療現場を体験することができた。今回は5年前と違って、私の周りに一緒にやってきた日本人は誰もいないし、また日程といっても詳細に決まっているわけではなく、行く病院とそこでの責任者だけがわかっており、あとは病院の玄関から自分でその日その日を作っていかねばならず、本当に自分と自分の英語力だけが頼りの2週間であった気がする。
 私が最初に訪れた病院は、セイントアグネス病院という市立の病院で、2日間そこで研修した。その病院は家から近いとのことで、地図を書いてもらって歩いて通った。市立の病院にもかかわらず、その規模、建物の美しさ、清潔さは日本では見られぬすごさで、建物に圧倒されるという感じであった。私が最初に訪れたのは、緊急病棟であった。アメリカは緊急医療が非常に進んでおり、日本とはえらい違いだと感じた。私の故郷である宮崎県の救急救命士は一人。救急車内での医療行為は、それではもちろん追いつかない。それに比べると、病院では救急隊員が常備、常に外部の隊員と医師、医療技師とコンタクトをとっている。アメリカは進んでいると感じた。救急車内も見せてもらったが、設備も整っている気がした。また、アメリカの病院には、ボランティアとして病院でいろいろな手伝いを無償でするシステムがあり、私がこの病院を訪れた時には、何十人ものボランティアの人々の中の責任者のビルというかなり年配の方と話をすることができた。彼らは3時間単位で活動しており、学生から老人の方々まで幅広い年齢層で構成されていた。彼らの主な仕事はボランティア席で患者さんやその家族に分からない点などを教えたり、待合室でコーヒーやティーのセルフサービスの準備をしたり、その他いろいろであった。また、この病院に限らず、私が訪れた病院には医師、及び患者さんの部屋割りを示すボードがあり、それによってどの医師がどこでどの患者さんを診ているのかわかるようになっている。ボランティアの人たちは、そのボードの様子を1時間おき位にメモしておき、面会に来た家族の人々に対応できるようにしていた。例えば、白い紙でボードに名前が書かれていると、それは緊急棟から中央棟に患者さんが移ったことを示しており、昨日は緊急病棟に来て治療を受けたが、今は他の棟に移ったというケースも多々あり、家族や見舞いに来た人々とうまくコミュニケーションができるような工夫もされていた。この病院は、さほど忙しいという感じはなかったが、いろいろなケースの患者さんやちょっとした手術も見ることができた。
 2つめの病院は、V.M.C(Valley Medical Center)という病院で、ここでは3日間研修させてもらった。アメリカには医療保険に入れない人々が人口の15%にものぼるという。そういった人々が利用しているのがこの病院で、市がバックアップしている。非常に忙しい病院であったが、ここでは特にいろいろなことを研修できた。ここでの研修1日目、午前9時にV.M.Cまでルームメートのマイケルに送ってもらった後に、まずどうやってコンタクトをとってもらう人と会うか困難であった。受け付けの周りは、患者さんたちでいっぱいで、ひどいけがの人なども多く、はっきりいって目つきの悪い人が多くて怖い感じすらあった。廊下をまわっているうちに、この病院の関係者らしき人にやっと話しかけることができ、ようやくコンタクトをとってもらえるベティに会えた。この病院では外科手術でいろいろと見学した。まず私が見た手術は内視鏡の手術であった。内視鏡については、自分が高校3年の時に肺気胸にかかり、入院したことがあるので、その病気の有効な手術法として内視鏡を知っていたし、非常に興味もあったので、この手術を見ることができたのは幸運であった。内視鏡手術の映像は非常に鮮明で、肝臓から悪性の部分を焼いたり切ったりして取り除かれていく様子が非常によくわかった。その後、午前11時から午後2時半までの間立ちっぱなしで、首から右肩にかけての大手術の様子を見学した。最初はなんとなく気持ちが悪かったが、後にはだんだんと慣れてきた。特に1時間前後は眠たくて立っているのがつらく、非常に疲れた。手術後、医師か日本の医学制度について聞かれて説明したが、アメリカでは大学に4年間通った後に、医学校へ4年行き、インターンも外科では7〜8年、他の科も3〜4年して、一人前の医師になれるそうだ。日本の大学受験制度など理解に苦しんでいたみたいだ。その後は医師に同行して入院患者を診てまわった。中にはベッドと手足が錠にかけられていて、その部屋の前には警察官が4、5人待機しているような患者もいてびっくりした。焼けどを負った人々や子供たちの入院している病棟などもみてまわった。アメリカでは患者さんを診るときには必ず使い捨てのゴム手袋を着用する。これは病院には必ず大きな食堂があって、医師や病院関係者、訪問者等の人々が利用できるようになっていた。入院患者はもちろん病院食であったが、患者、訪問者に対する施設も充実していると思った。 この病院での2日目にはキンター医師率いるスタッフの一員に加わって手術に参加した。昨日までは、ただ手術室を見ているだけであったが、その日は念入りに手を殺菌して看護婦にタオルをしてもらって水滴をとり、手は腰から上に保つ。次に2枚ずつゴムの手袋をして、エプロンのような手術着を着る。もちろんマスク、キャップもして。その手術の患者さんは、右腕をガラスで切っていて筋肉などあふれんばかりのひどい状態であった。私は患者さんの右手を2時間あまりずっと支え、手首を内側に曲げていた。目の前で次々に2人の医師によって右腕が縫われていき、その様子はよく分かった。百針ほど縫う長い手術だった。同じ姿勢でずっといたので、疲れたし、緊張もした。昼食後にオスカー医師と病棟をまわった。ここではアメを食べながら、病棟をまわるし、特に日本人の私からして非常にびっくりしたのは、アイスキャンディーを食べながら患者さんたちの通る廊下を通っていった時で、私ももらって食べていたが、非常に恥ずかしかった。その後も2つの小さな手術を診て、この日は最後に死体解剖を見学した。死体解剖室から死体を一つ取り出して、若い医師が最初に解剖して説明していた。この時は、肝臓とその周りの構造についていろいろと説明していたが、もちろん私には理解できない。そして外科医長が特定の部分の縫い方を講義していた。死体の解剖を見るのは初めてであったし、良い経験ができたと感じた。3日目は、朝8時から講義に参加してオーバーヘッドやビデオを使って手術、死亡率についての説明を聞いたが、全くわからなかった。このV・M・Cでの3日間は非常に長く疲れたが、それだけに多くの素晴らしい体験ができた。非常に忙しい病院なだけに、中には丸2日間寝ていなくて、「家に帰って寝たいよ。」とぼやく医師もいて、どこでも大変な仕事であると感じた。
 2週目には、ミッドバレーサージカルグループとフレズノコミュニティーセンターという病院をまわった。ここではV・M・Cの朝の講義で会ったことのある医師に同行した。ミッドバレーサージカルグループでは、主に病院内を見てまわったが、はっきりいって病院とはいいがたい建物で、病室は20室ほどあったが、テレビやビデオ、またソファーなどもあり、病室という感じはしなかった。しかし、ここではそう長くは滞在できないらしく、1日で帰るようになっていた。この日はフレズノコミュニティーセンターで外科手術も見たが、へそのまわりにメスを入れてへそを取り除き、腸の手術をしていた。3時間程の手術でこれも疲れた。アメリカの病院の手術室は、日本のそれと比べてかなりオープンである。手術室には音楽が流れ、スタッフも話しながら手術を進めているし、手術室の出入りも自由であった。
 最後の3日間は、V・A病院に行った。辞書的意味では、老兵管理病院となるので、果たしてどんな病院なのかと期待と不安が半々の気分で行ったが、普通の病院であった。ここではこの病院での世話役のジョン医師から聴診器をもらって、首に下げて病院を見てまわった。病院に図書館もあり、隣にはコンピューター室もあったようだが、このコンピューターは、各大学病院とつながっているそうで、病院に図書館が設置されているのは当たり前のようだった。また、ナースホームをまわった。看護婦が寝泊まりできる部屋もあった。もちろん病院内には、医師たちの寝泊りできる部屋もあった。また、日本の老人ホームのような形の病棟もあったが、そこの食堂には台所もあって、自分たちで料理したいものを料理できたり、また大きなビンゴ板もあって、老人たちは自主的にいろいろと活動できる施設になっていた。このV・A病院においてもいろいろな外科手術を見たが、何といっても私が興味を抱いていた精神科でいろいろと見学できたことが良かったと思う。精神科の病棟はドアに鍵がかかっていて、医師以外は自由に出入りできないようになっていて、厳重に囲ってあるという感じだった。そこでは、マルタという女医さんと出会う。小柄なドクターであった。初めて精神病の患者さんを見た時は少し恐ろしい感じを受けた。病棟の様子は昔「レナードの朝」という映画で見た場面を彷彿させた。いろいろな患者さんとドクター・マルタとのカウンセリングを聞くことができた。これまでは日本からきた医学生ということで、各病棟をまわってきたが、この精神病棟では、日本から来たドクター・ケイということで、見させてもらった。全ての悲観的にとらえてしまい、不幸であると自分自身を思い詰めているケースや、夢想家で頭に思いついたことを次々に早口で話して自分の言ったことは覚えてないケース、また、怒りやすく会話も1分くらいしかもたないケースなど、5例程のカウンセリングを聞くことができた。この病院の2日目には1日目の病棟とは別の精神病棟で見学した。この病棟は、比較的軽い精神病の人たちが診察にやってくる病棟のことであった。ここでも7割程のカウンセリングを聞くことができた。また、医学書を実際に見て、一人一人の症状などを教えてもらったりもして、非常に楽しかった。Dr.マルタの持っている患者さんの中には、日本人も幾人かいるらしくて、ここではいくつかの日本語の挨拶などを教えたりもした。Dr.マルタが言ったように、とても難しく大変な科であると感じた。また、ここでは、CT検査をしている所や胃カメラを使って見える映像なども見せてもらっていろいろと説明を受けたが、患者さんのことをはじめ、日程などがぎっしりとインプットされていた。V・A病院は私にとっては、最も研修しやすくて、居心地のいい所であったという感じがする。V・A病院での研修が終わった時は、何かほっとした感じで本当にたくさんのことを体験できたと思った。
 この病院研修以外にも私は、ホストファミリーのDr.マイケルと共に患者さんを夕方から夕食後に診てまわる機会を多く持てた。彼は開業内科医であるから自分のオフィスを持っており、そこでは診察もできるし、コンピューターも導入されていて、経営を始めとする様々の事務処理も行っている。しかし彼は3ヵ所程の病院にまたがって自分の患者も診ており、こういう点も日本とは違うなと感じた。彼が内科医を選んだのは、「患者とコミュニケーションがとれ、人々に教えることができるからだ。」と言っていた。また、彼は食物の面から医療についても研究しており、いろいろな資料を頂いた。私が彼に「あなたの勤務時間は?」と尋ねた時、彼は「一日中だよ。」と答えていた。彼は朝も入院患者を診てまわるという生活で、常にポケットベルを携帯していた。そういう忙しい彼だったが、空手やトレーニングジム等にも通い、自分自身の健康もきっちりと管理しているという感じであった。
 この2週間で週末には5年前のホストファミリーと再会でき、互いの今を確認することができた。そこには5年前と同じ笑顔があったし、また、たくさんの成長した姿を見ることもできた。
 私の食生活は、朝はパンやコーンフレークやフルーツで、昼は病院のカフェテリアでとっていた。夜はといえば、Dr.マイケルと毎日外食で、メキシコ料理、イタリア、ドイツ、ブラジル等多くのレストランで食事ができた。これも独身の彼と一緒ならではであった。
 2度目のアメリカも私にとっては非常に新鮮で、見るもの聞くものの一つ一つが素晴らしい体験であった。アメリカの病院をまわってみて、多くの人種に人たちがやってくるのは、やはりアメリカであると感じたし、その中で日本人である自分を強く意識した。しかし、この目を開けて周りを見れば多くの人種がいるアメリカでは、外国人という認識はあるのだろうかと強く感じたし、そのことは、ボーダーレス時代への一認識として重要なことかもしれないと思った。地球人として、自分の道である医学、医療に携わる多くの人に会え、コミュニケーションがとれ、たくさんのことを経験できて本当に素晴らしかったと思う。また、今度は英語に医学に知識をつけて、再びアメリカを訪れ、素晴らしい体験ができればと思う。


Copyright (C) 1999-2004 Minami Nihon Culture Center All rights reserved.