ブラッシュアップホームステイに参加して
― 市役所 ―

 

宮崎県西諸県郡野尻町役場   佐土原 八重子

 

7/30(土)日本時間
午後4時成田空港。この時期あらゆる地域のホームステイ関係の会社や旅行社があり、成田空港ではそれぞれの社名ごとにたくさんの人たちが集まっていた。この日、南日本カルチャーセンターより、ティーチャーズホームステイに参加する全国から32人の先生方が集まる。31人は、サンフランシスコへ。私一人はロサンゼルスへ。入国審査を通り、E70番の搭乗口で待つ。18時05分発。

7/30(土)アメリカ時間
正午12:00、ロス到着。日本人大学生を見かけてので、空港ラインに並んでみたり、案内所へ行ったり、英語で道や方法を尋ねながら、結局バスで移動。第一ターミナルで降りる。もう一度アメリカ国内線。USエアラインでサンディエゴ市へ。この間ずいぶんと時間があったが、時々日本人学生を見かけるとほっとした。また、バッグのことで、空港の係とうまくコンタクトをとれなかったが、それを見ていた父が三菱工場に勤めるという若いアメリカ人のお姉ちゃんが、時間がきたら自動的に開くのだと教えてくれてほっとする。私は「日本のコストが高いので、社長は工場の代理店をどんどん東南アジアに移しており、少しそれが残念。」等と会話する。18:20→19:03、サンディエゴ空港到着。ディア・ホストンさんが大きな笑顔で出迎えてくださり、ほっとする。中でこれから一週間のこと、英語のこと、そしていろいろな国の英語の発音等について話す。午後9時頃ホストファミリー(キャサリン・ヘムリックさん)に会う。日本の夕方位の明るさである。最初から対話ができると少し安心されたようである。以前シンガポールを娘さんと2人で旅行されて、その時に水墨画に感動され、日本人でも中国人でも受け入れてみようと思ったとのこと。

7/31(日)
午前10時30分、サンディエゴ動物園。45分にある入場門の所で会う約束をし、別行動(日本人みたいにお客さんであってもべったりの関係ではない。)2階建てバスツアーや食事をしたり、英会話を楽しむ。5時が近づくが、私には何と言う動物の入場門かが分からず、迷子センター(?)のセキュリティーメンバーのやっかいになる。パスケースのホストファミリーの住所と電話番号を伝え、場内アナウンスをしてもらう。約1時間後にキャリーン・ヘムリックさんに会う。水曜日に市役所に行かなければならないことなど思うと必死で涙が出た。でも何とか英語で頼み込めたし、この時、英語の丁寧な言い方を友人よりいくつも教えてもらっていたので、良かったと心からそう思った。夜、時差で少し体がだるい。でも迷子事件はどう考えても、おかしいやら恥ずかしいやらで、やはりここはアメリカなんだ。

8/1(月)
茨城県出身の高校3ヵ月間ホームステイのメンバーと合流し、2.5時間位の英語だけの授業を受ける。時々先生と生徒の間を通訳させられる。例えば、彼らは選ばれて来ていること、だからこの中の一人位は将来外交官や翻訳家を目指すかもしれないと。また、後からグループに分かれ、私が彼女達の母親と仮定し、アメリカの15歳の高校生と生徒をはさんで日米の子育ての違いや祭日など、違いを英語で勉強する。アメリカでは18歳でお祝いパーティーをし、1カ月分の生活費をもらったあとは、自分で働きながら大学に行くパターンが多い。私の見た15歳の高校生や働いている高校生(ピザレストランなど)は体も大きく、大人の顔に見えた。午後、ディア・ホストンさんの指導を受ける。その中で私の日本からのお土産が多くてショックだったと言われ、またショックを受け涙をする。結局私は日本人、そして今異邦人。それから明日の小学校で注意。写真は一切撮ってはいけない。写真を撮るためには親の許可が必要。その位この国は個人の考え方を大切にする国であり、そういう法律があることを知りびっくりする。

8/2(火)
ガザ小学校、午前9時着。少し緊張する。サンディエゴ市やメキシコとの国境に近い大きな港町であり、観光地でもある。メキシコの公用語はスペイン語。従ってここの子供達皆、英語とスペイン語のバイリンガルである。黒人、白人、スパニッシュ、日系人、それぞれみんな仲間。さすが合衆国である。私のために1時間ほど時間をくださり、英訳の「青い目の人形」「ゆりかご」「犬のおまわりさん」を読み、日本語で歌う。その他紙屋山の城攻め踊りやそれに3組の双子が同時に説明したり、写真を子供達に見せたりする。のち、職員室で懇談。職員の話で以前、台湾の子供をホストファミリーとして受け入れたが、その子が殆ど話せなくて苦労したとのこと。先生方と30、40分英語を楽しみ、のち、ディアさんがドライブに誘って下さる。夕方6時30分より早めのサヨナラパーティー(茨城県の高校生)に招待される。3ヵ月間もいると、いろいろな思いが募って言葉にならないのだろう。多くの高校生がホストファミリーの胸で泣き崩れる姿を見た。最後にみんな参加のカルタ大会や外国人の書く書道のうまさにびっくりしたり、そして、ホームステイ修了証書をもらう。アメリカでは、ユーアーグッドスリーパー(
You are a good sleeper)などとユーモアも交えて個人の性格に応じた評価の仕方にもアメリカだなあと思う。私はちょうど名前を呼ばれた時、ディアさんの親戚の子供(3歳、男児)と遊んでいたので、子供を抱きあげたまま、証書をもらいに行く。子供が声をたてて笑ったので、みんなとても喜んでくれた。

8/3(水)
オズボーン・ホストンさん(ディアさんのご主人)にエスコートされて、ユンオンバンクとサンディエゴ市役所を訪問。アメリカではみんな一人一人に個室(事務室)が与えられており、パソコンで全てケーブルしている。コンピューターのプログラムを作成する人、あるいは修理、チェックする専門家(女性)がいたことも新鮮に思った。提出する文書は大きく、決裁欄は小さい用紙だった。英訳の町報や城攻め踊り、それにえびの高原のもみじ狩り等のカラー写真を見せて説明する。係の方に案内されて議場へ。議員さん(37名)の一人が、ホームステイの子供や外国からの観光客がどんどん増えており、その対応に苦慮している部分もある。今後、街としてはどう考えているのかと質問したのが印象深い。また議員の席と傍聴席が30cmくらい離れてすぐ横の席だった。帰りにサンディエゴ市職員のバッジと組織図を書いた資料等をもらう。市長と市長以外に選挙で選ばれた弁護士がおり、収入役以外に経営効率をチェックする係、エンジニア、リングマネージャーがいることがわかり、やはり合理主義の国、お国柄を見る。案内の途中で「ハウジングマネージャー、合格おめでとう。」というのが聞こえ、それぞれが何らかのいくつかの資格を持ち、そのポジションを全て任されているようである。市役所、銀行、学校どこの職場でもみんな自分の家族の写真を飾ってあり、大切そうにまた嬉しそうに見せてくださった。市役所を終え、オズボーン・ホストンさんが、すしショップに連れていってくださり、その味噌汁の味が骨身にしみた。店を任されている日本人のおかみさんに思わず「おかあさん!」と言ってしまう。日本語がとても懐かしい。アメリカではテレビの宣伝の仕方も違う。例えば、日本は有名人が車のニューモデルチェンジについて説明し、サポートするが、この国では車そのものを他社と比較して消費者に考えさせるやり方である。アメリカは日本人以外にもたくさんの外国人をホストファミリーの方などが受け入れており、とにかく受け入れるという点では、すごい大人の国という感じがした。この国はレディーファーストだからと、荷物を持ってくださり、車の通る側をホストンさん、中側を私として一緒に歩いてもらう。とても幸せだった。私のホストファミリーとディアさんが家も近くで親友だたようで、私と3人で夜8時頃はまだ明るいので、散歩してくださったり、キャリーン・ヘムリックさんからみると、まだ私は可愛い少女だったようだが、時には対等に大人としておつきあいして頂いたことも嬉しかった。自分が異邦人となって改めて日本に来てくださっているAETの方や日本と外国、外国と日本について再度考えるようになった。今回のアメリカ体験は、社会保険のない国、銃の恐ろしい国という第一印象が強い中で、いろいろな意味で何にもかえがたい素晴らしい体験をさせてもらった。多くの助言をし、見守りアドバイスを与えてくださったたくさんの隣人たちに感謝したい。


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